■ 記念日
室井は駅から青島の自宅に向かって歩いていた。
表情は明るいとは言えない。
毎年この日の室井はナーバスだった。
何年たっても忘れられない。
青島が刺された日だ。
ふとした瞬間に、青島を失うかもしれないという恐怖を思い出す。
それでも今年はまだマシだった。
偶然にも互いの都合がついて、青島の部屋で会うことになっているからだ。
顔を見られるだけで随分違うものだと思う。
顔を見てそこに青島が確かにいることを感じれば、もっと落ち着くかもしれない。
そう思ってはみても、中々気分は浮上してこなかった。
室井の中の恐怖心を青島に伝えたことはない。
自分でも情けないと思うし、思い出したくないのは青島の方のはずだからだ。
寒くなると古傷が痛むと聞く。
青島の場合は、忘れようとしたって身体が忘れさせてくれないのだ。
彼の方がきっとずっと辛いはず。
そう思えば、室井の恐怖心を伝えることなど出来なかった。
玄関前で何とか気持ちを落ち着かせようと深呼吸をしてみるが、あまり効果はなくて溜息に変わる。
インターホンを押して青島が出てくるまでの間に、室井はもう一度だけ深呼吸をした。
すぐにドアが開かれる。
「お疲れ様です、室井さん」
満面の笑みで迎えられれば、さすがに少しだけ元気になる。
室井は現金な自分を心の中で嗤った。
「お疲れ様…遅くなってすまない」
「いえいえ。どうぞ、入ってください」
青島が身体をずらして部屋に入るように勧めてくれる。
「室井さん、ちょっと疲れてます?」
室井の顔色を伺うように、青島は首を傾げた。
青島は変なところが敏感な男だ。
肝心なことではかなり鈍感なのにと思って、室井は苦笑した。
「大丈夫だ。少しだけ忙しかっただけだ」
「…そうですか?あまり無理しないでくださいよ?」
青島は心配そうに眉を寄せたが、室井が頷くと一応納得したようだった。
「簡単なものですが、飯用意しておきました」
「ありがとう」
リビングに入ると、確かにテーブルの上に料理が用意してあった。
一緒にいるときは室井が料理をすることが多いが、青島も全くやらないわけではない。
単に室井の料理のほうが早いし旨いから、室井がやることのほうが多いだけだ。
こうして先に青島が上がれた日は、作っておいてくれたりする。
多少大味だが、青島らしくて室井は好きだった。
室井に座るように勧めると、青島は台所から缶ビールを二本持って戻ってくる。
「一杯、やりましょ」
笑顔の青島につられて室井も小さく笑う。
「ああ」
いつもの年よりずっと心穏やかだ。
青島が確かにそばにいるから。
だがどうしても心の底にある思いから、室井は抜け出さない自分を感じていた。
「室井さん」
軽くほろ酔い気味の青島が、うっすら頬を染めながら室井を呼ぶ。
視線を合わせるとニッコリ微笑まれた。
「今日は記念日です」
上機嫌に言われて、室井は固まった。
記念日?
今日が?
青島だって、自分が刺された日を忘れたわけではあるまい。
だとしたら、刺された記念日だとでも言うのだろうか。
そんなことは、室井には認められなかった。
記念になど出来るわけがない。
険しくなる室井の表情に、青島は気づいているのかいないのか。
相変わらず上機嫌で、続ける。
「覚えてます?」
「…忘れるわけがないだろう」
「良かった!」
声を抑えた室井とは対照的に、青島は嬉しそうな声を上げた。
室井の表情がどんどん険しくなる。
「何故、記念になんて出来るんだ」
押し殺したような声で言い、テーブルの上で両手を組んでそこに額を当てた。
「室井さん?」
「記念日だなって言わないでくれ…」
苦しそうに吐き出すのがやっとだった。
掠れた室井の声に、青島はようやく笑みを引っ込めた。
「室井さん…」
俯いた室井をしばらく黙って見つめて、徐に室井の傍までやってくると、落ち着いた声で、まるで室井に言い聞かせるように話し出す。
「俺たちにとって、大事な日、ですよね?」
「…そうだ、大事な日だ」
「違う、きっと俺と室井さんの思ってる大事な日の意味が」
違う。
そう言われても、室井は顔を上げられなかった。
青島が真剣な目で室井を見つめていたが、それに気づかない。
「室井さんが上の命令を無視して現場を信頼してくれた」
―その結果青島が刺された。
「結局室井さんは降格されちゃったけど…」
―青島に何もしてやれなかった。
「それでも、あの時現場にいた刑事も室井さんの声を聞いてたキャリアも、心のどこかでちょっとだけ思ったはずなんだ。警察はこのままでいいのかって。変わっていかなくちゃならないんじゃないかって」
―そう、だったかもしれない…。でも。
「それは本当にちょっとで、警察機構に影響を及ぼすほどじゃないかもしれないけど。それでも、」
青島は室井の組んだ両手を上から握り締めた。
「俺たちにとっては大事な一歩だったんだ」
室井は顔を上げて青島を見つめた。
視線の先で、青島が笑う。
「俺たちが大事な一歩を踏み出した日です。忘れないでください」
室井は無意識に青島を抱きしめた。
「青島」
きつく抱きしめて名前を呼ぶ。
「青島」
彼の言うとおり、あの日は室井と青島にとって無くてはならない日だった。
約束を叶えるために。
室井が上に行かなければ叶えられることの無い約束だから、結果的に見れば遠回りにしかならない事件だった。
それでも必要なことだったと室井も青島も信じているのだ。
室井の背中に青島の腕が回って、唇が室井の額に触れる。
瞼に。鼻先に。頬に。それから唇に。
触れるだけのキス。
唇を離すと、正面から室井をまっすぐに見つめる。
「室井さん、俺、生きてますよ?ちゃんと」
「…分かってる」
まるで子供をあやすように、青島の手が室井の背中を軽く叩く。
「死なないなんて約束はできませんけど、死なない努力をする約束ならできます」
室井が小さく笑うと、その振動で青島にもうつる。
「無茶ばかりするくせにか」
「失礼な。じゃあ、聞きますけど。安全第一で被疑者を追わなかったり、痛い目にあうのが嫌だからって暴行されてる人を見過ごすような人間だったら、室井さん、俺のこと好きになってくれました?」
改めて聞かれて、室井も思わず返事に困る。
確かに青島がそんな人間だったら、室井は惚れたりしなかっただろう。
無茶は出来るだけ止めて欲しいと思うが、無茶をしない青島は青島じゃない気もする。
無言の室井に、青島は勝ち誇った。
「ほら、ね。だから、いいんです。俺はこれで」
あんたが好きでいてくれるんだから。
そう微笑まれて、室井は苦笑した。
そして、青島の後頭部に手を添えると口付けた。
角度を変えて、何度も重ねる。
そのまま押し倒しても、青島は抵抗しなかった。
「来年から」
口付けの合間に、青島がポツリとつぶやいた。
「お祝いしません?」
「ん?」
「記念日、忘れないように」
二人がその日を忘れることは、きっとありえない。
青島が言いたかったのは、その日が「記念日」であるということを忘れないでいるためにだということだ。
どうしても青島の怪我を引きずってしまう室井のため。
記念日にすれば、祝うべき日だということにしてしまえば、少しでも室井の気が軽くなるのではないかと思ったからだ。
「…そうだな。そうしよう」
「絶対ですよ!」
室井の同意に青島が嬉しそうに笑う。
それを見て、室井も心から微笑んだ。
青島を失うと思った瞬間のことは、たぶん一生忘れられない。
それでも、その青島のおかげで前を向いて歩いていける今がある。
放り出さずにすんだ約束がある。
それを大切にすることが、過去を悔やまずに青島の隣を歩いていける唯一の方法。
きっと来年からは、ちゃんと記念日に出来るはず。
室井はそう思った。
END
2004.4.3
あとがき
愛理さまより、「何かの記念日の室青で甘いお話」という
リクエストをいただきました。
微妙な記念日で申し訳ありません(汗)
いつものように甘くなっているとは思うのですが…。
ご希望に沿えておりませんでしたら、大変申し訳ありません!
青島君の怪我を引きずっているのは、
青島君本人より室井さんの方だろうと思います。
あの場にいた刑事の全員じゃなくても、
一部の刑事の心の片隅にでも、
青島君と室井さんの思いが少しでも伝わっていれば良いなー、
という私の願望が青島君の台詞になりました。
何が言いたいか分かり辛かったかもしれません。申し訳ないです。
精進せねば!
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