はじまりはいつも雨(1)

「好きだ」



 雨の篠つく夜だった。

 一瞬、室井さんが聞き慣れない外国語を話しているのかと思ったほど、それは衝撃的。そして、唐突に。

「え?え……と、」

「答えは『イエス』だろう?」

「はっ?」

 ちょ、ちょっと待って。

 突然告げられたその告白を、疲れた思考回路をフル回転させて反芻するうちに、いつの間にか室井さんに

距離を詰められていた。

 吐息が頬に当たるくらいの、僅かな隙間。



 キス、される。



 思った瞬間には、既に唇は室井さんに塞がれていた。

 それは、優しい、キスだった。

「もう、誤魔化す必要はないんだ」

 それはオレに対しての言葉なんだろうけど、でもオレにはなぜか室井さんが自分に言い聞かせているよう

な気がして。

 おずおずと手を伸ばして、彼の頬に触れた。

 冷たかった。

 濡れていたのは、雨だけの所為だったろうか。

 室井さんは、オレがひたすら隠し続けていたモノに気付いている。

 そして、それを今、暴こうとしている。

 けれど、それは切なくなるほどの、優しさを持って。



 それなのに、室井さん。

 あなたの顔、とても苦しそうだ。

 どうして、そんな顔、してるんですか。

 オレが、そうさせているんですか。

 それは、なぜですか。



 出口から一条の光が差し込んでいた。



 もう偽ることはないのだと。

 もう隠す理由など、ないのだと。



 その扉を優しく開けてくれたのは。

 あなただった。



「はい、室井さん。………オレも、あなたが、好きです」



 それから。

 不思議と雨の日は室井さんを思い出させる。













「あーおーしーまぁっ!」

「んあ?なに、すみれさん」

「なに、じゃないわよ!何回呼べば気が済むのよ!?」

「へ?そんなに何回もオレのこと呼んだ?」

「呼んだ、呼んだ。何回呼んだかしら、雪乃さん?」

「えーと、5回目です」

「ほぉら、ご覧なさい」

 こめかみをピクピク言わせながら、目の前にふんぞり返るすみれを見て、青島は僅かながら腰が引けた。

次に来るであろうセリフが、容易に想像ついたからだ。

「バツとして、明日の昼食、奢りね」

 嫌な予想が当たってしまい、青島はがっくり項垂れる。

「仕方ないじゃん、気付かなかったんだからさー…」

「問答無用!」

 言い訳は所詮言い訳でしかない。すみれに口で勝とうと思うのが、そもそも無駄な足掻きなのだ。渋々

といった態で、青島は首を縦に振った。

「で、何かあった?」

「それを聞きたいのは、こっちの方」

「え?何が」

「こんな至近距離で5回も呼ばなきゃ気付かないほど、何をそんなに悩んでるのよ?」

「別に、何も考えちゃいないよ」

「うーそー。ぼんやり、心ここに在らず、って感じだったわよ。ほら、おねーさんがお悩み相談室開いてあ

げるから、何でも言ってみなさいよ」

「そうですよー。言ってしまった方が気も楽になるし、すんなり解決するかもですよー?」

 すみれの尻馬に乗って、雪乃も目前の席から茶々を入れてくる。湾岸署刑事課のツートップに睨まれて、

無事だった試しはないけれど、だからと言って、それに素直に乗ってやる理由こそ、青島にはない。

 というか、そんな簡単に話せるような悩みなら、もうとっくの昔に聞いてもらってる。

 青島だって、誰かに打ち明けたいとは思ってはいるのだ。思ってはいるが、如何せんデリケートな問題す

ぎるし、また、それを仮にも女性である彼女らには、到底打ち明ける勇気の持ち合わせはない。

 だから、微笑って誤魔化すしか、この場を収める手立ては思いつかなかった。

「あー、いや、給料日まであと1週間あるのに、もうすっからかんでさー。経費中々落ちないし。だから、

どうしようかな、って思ってただけ」

「………ホントにそれだけ?」

「それだけ、って……。かなり深刻な問題だと思うけど?」

 何せ先立つものがなければ何も出来ないこのご時世。いっそ原始時代のように、物々交換で生活が成り立

つのならまだいいのだが。……とは言っても、その交換できるような物さえも持たないのでは、話にはなら

ない。

「…じゃ、明日の昼食は?」

 ホントに奢らせる気だったんだ。

 青島の背筋を冷たいものが降りていく。

「ゴメンけど、来週まで待って?」

「………ですってよ、雪乃さん?」

「うーん…。そういうことなら、仕方ないですよねぇ。じゃあ、最初に言ってた海沿いのレストランの

ランチにしません?あそこの方が安かったですし」

「そうね、そうしよっか」

 なんと、雪乃まで奢られる気でいたのか。しかも、高い店を奢らせるつもりで。

 呆れる青島を他所に、女性陣はさっさと話題転換、再びグルメ雑誌を捲っていくのに忙しい。呆れた、と

ばかりに肩を竦めて、青島は席を立った。すみれと雪乃の会話にアテられたわけではないが、口寂しくなっ

たこともあり、休憩がてら煙草を握り締めて。

 そうして、刑事課から青島の姿がなくなってから、すみれと雪乃は顔を見合わせた。

「どう見る?」

「恋の悩みでしょうか」

「それしかないわよねぇ。…青島のクセに」

 最後の吐き捨てるような言葉に、雪乃は苦笑で返すしかなかった。

「よーし、いっちょ探り入れてみるか」

「ええ?だって、私たちでダメだったんですよ?」

「他にも適任者、居るでしょ?」

「それって………」








『あ、先輩っ。お久しぶりですぅ』

「久しぶりって、確か一昨日お前の顔見たような気がするんだけど」

『ええ、昨日と今日と会ってないから、お久しぶりなんです』

「……あ、そ。で、なに?」

『もし今夜ヒマなら、飲みに行きません?』

「また、いきなりだなあ」

『あれ?ダメ?』

「ダメじゃないけど……。オレ、金欠なんだよね」

『ああ、そんなこと。いいですよ、今日は僕奢ります』

「奢るって…豪勢だなあ、真下クン?何か良いことでもあった?」

『先輩と飲みに行く為なら、僕は何でもしますよ!』

「あー、はいはい。んじゃ、素直に奢られようかなあ?」

『じゃ、7時に新橋で!』

「オッケー」












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