引越しの時配るのは、確かそばだったはずだ。

いくらかそこに拘りを見せた室井に対し、青島の答えはあっけないものだった。

 

「だって、室井さんチのもらいもの、うどんとラーメンしかないじゃない。」

 

ラーメンばちはなかった。

土色のどんぶりにそれぞれを盛って、上機嫌で室井の前にどん、どんと音をさせてそれらを運ぶ

青島を、室井は内心感慨深く見ていた。

彼に食事を作ってもらうのは、初めてではない。

けれど、これがふたりの生活の、初めの食事だった。

ふたりで始めた、ふたりの生活の。

 

「とりあえず、室井さんがさぬきうどんで、オレが札幌ラーメンね!」

いつにも増して素晴らしい笑顔は、まだ家具の揃わない殺風景な部屋を忘れさせるくらいに、室

井の心を暖めた。

ビール、漬物、っと箸を忘れた、などとくるくる動く青島の口は、先程から閉じることがない。

「やっぱキャリアのもらうもんは違うなー。これお土産?あ、お歳暮とかすかね。」

「わ…、室井さん、スゴイ。冷蔵庫がヱビスで埋まってる。」

「ラーメンいろいろあったんすけどね、とりあえずこっち、味噌味にしました。あとで塩味もた

めしてみたいなー。」

「あ、七味がない!買っとかなきゃ…。」

「えーと、ビールはそのまんまでいいかな。

でもせっかくですもんねえ〜。雪乃さんがくれたグラスがあったと思ったんだけどえーと」

「青島。」

くるくるくるくる。

いつまでたっても傍に落ち着いてくれない青島を、とうとう室井が呼びとめた。

え?と振りかえった彼に、笑みが漏れる。

「…食おう。のびるぞ。」

しばしキョトンとしていた彼だが、そっすね、とまた笑って、それからすとんと室井の隣に腰を

下ろした。

―――床に。

「テーブル買わなきゃねえ。」

苦笑しながら、青島がビールを開けた。

 

さやかな乾杯をして、「引越しそば」の代用品を、ふたりで食す。

まんがみたいなことしてますねえ、と青島が笑った。

「配るんですよね、本当は。」

んまい、と笑顔を満たして、音を立てながら麺を吸い込む。

そうだな、と返しながら、室井は幸福であったが、それは青島も同じこと。

 

信頼や軋轢や、その他ありとあらゆる感情の遣り取りを経て、それでも一緒に居たかった。

そういうふたりの、共同生活が始まる。

(それに際しての準備、買出しの際、件の座卓などを買い忘れた。

真っ先に購入したのは、ひと財産かけた、素晴らしいベッド・周辺一式、それから冷蔵庫。

引越しの日、それにはたと気付いて、青島に、室井さんのエッチ、などとからかわれたが、室井は

珍しく負けなかった。

曰く、「寝食を共にする、というだろう。」とか。)

 

「室井さん、ちょっと頂戴。っちゅうか、はんぶんこしましょ。」

既に半分強をすすり終えた青島のどんぶりが、横から差し出される。

子供のような行いに、室井の頬が緩んだ。

「ほら。」

大の男ふたりで、床に座りこんで、何だか可愛らしい食事だ。

彼との生活にはきっと、こういう空気がずっとあるのだろう。

ちいさなことでも、その有難みを感じられる。

きっとしあわせだ。

「あ、こっちも美味い。んー、けどやっぱり七味が欲しいっすね〜。」

ぞぞぞ、とうどんだしを啜って、湯気の向こうで顔を上げる。

目が合って、―――室井のなかで、決まった事があった。

 

「いつか、本物を食べに行こう。どっちも。」

目を合わせたまま言うと、青島がにか、と笑った。

「あ、いいっすねえ。北海道、行ってみたい。」

「青島。」

さぬきうどんはどこだっけ、と今度はビールを口にした青島に、室井は真面目な顔をした。

青島が、ゆる、と横目で室井を見た。

「本当に、だ。」

ことり。

静かにどんぶりを床に置いて、青島の方を向き直る。

青島は箸を止めない。

口いっぱい頬張って、どんぶりを抱えたまま、もぐもぐ咀嚼している。

「ほーいうころも、あるはもひれまへんね。」

言って、またごくんとビールで飲み下す。

それから、室井に背を向けた。

とん、と、もたれかかるようにして。

 

この同居に青島を口説くのに室井は、実に二年の歳月を費やした。

彼の渋る訳は、言葉になるものはどれも「今更」と返してしまえるものだったが、

一ヶ月ほど前、酔ったはずみに青島は本音をこぼした。

―――約束は、ひとつでいいんです、と。

 

その深い意味は、未だはっきりとは聞き得ない。

室井の立場を悪くするようなことはしたくない、ということか、

もしくは恋愛の未来を思うことを嫌っているのか。

どちらでもあるかも知れないし、どちらも違うのかもしれない。

けれど確かなのは、青島の言う約束が、何を指すかということ―――。

室井は、それを違えるつもりは勿論ない。

苦戦を強いられても、甘い話を持ちかけられても、今もずっと戦っている。

青島も。

 

室井は、青島の背を肩に預かったまま、彼のほおの陰から、赤い箸が銜えられて揺れるのを見て

いた。

「…昔は、恋人と約束をするのが苦手だった。」

声は、届くだろうか。

そう思いながら、続けた。

「学生時代も――、どこかへ行こうとか、そういうことを俺から言ったためしがない。

守れないかもしれないからだ。できるだけ、嘘はつきたくない。」

…判るよ、室井さん。

青島は思う。視界の端で、赤い色がゆらりゆらり、返事をする。彼には届かないだろうが。

オレも、アンタにウソ、つかせたくないです。

今負ってる約束。

―――それだけで随分重たいものだと知ってる。

だから、それだけで充分なんだ、と、言おうか言うまいかを、未だに迷っている。

理由は、青島にもよく判っていなかった。

「君には、もっと嘘をつきたくないと、思う。」

ゆら。

揺れて、一本、箸が青島の手に落ちる。

少し迷ったが、自分にもう一度問い返して、それが本心であることを確かめて、青島は口を開い

た。

もう一本の箸も、手に落ちた。

「オレ、室井さんがいてくれりゃ、それでいいです。そんな遠くまで行かなくたって。」

だからそんな約束はいらないよ、と笑う。

「だいいちねえ、そんな遠くまで行けないっしょ、オレ達は。」

仕事あるし、休みないし。

ちゃかそうと思った。

が、阻まれた。

「一生、休みがないわけじゃない。」

ぽつりと、けれど確かな声で、室井が呟く。

そりゃそうでしょ、と言いかけて、―――青島は何かを悟る。

「警察にも、定年はあるぞ。」

これは、告白だ。

 

じわ、と視界が揺らいだ。

くちびるがへの字になって、震えそうになったので、青島は慌てて、またくちびるに箸を刺した。

つまり。

「…つまり、要するに、―――、」

此処へきて、室井のことばが澱むのは、恐らく、緊張と、照れのせいであろう。

そんな告白をするのは、彼も初めてのはずだ。

 

「つまり、…君との、最初の約束を、守ったら、」

青島のひとみが決壊しかけて、やっぱり聞けない、と思った。

聞かなくても、いいと思った。

もう、判った。

判ったよ、室井さん。

 

「…イタリア。」

大きく湾曲した話題に、室井の眉間が寄る。

はっとして、はぐらかされてなるものかと慌てて次を告げようとした室井の目に、青島の笑顔。

「イタリア、連れてって下さい。本物のパスタと、イタリアワイン!」

 

三日月みたいに、輝いて弧を描く、その悪戯っぽい目元は、もう潤んではいなかった。

 

 

「ウソついたら、キライになっちゃいますからね。」

葬式も出してやんないんだから。

 

つまり、

ずっと一緒にいましょう、というそれは、ふたつめの約束。

 

 

 

 

 

 

お引越し、おめでとうございます。















うどんとラーメンです。四国と札幌です。
つまりこの室青はリカさんと私です(え?)

このように痛々しい勘違いをするほど嬉しかったです!

くるくると忙しなく動いてる青島君を想像して、
床に二人揃って座ってどんぶり抱えてる姿を想像して、
青島君に「室井さんのえっち」言われてる室井さんを想像して(笑)、
幸せそうな二人に嬉しくなりました。
でも、そこに辿り着くまでにはきっと二人とも色んな思い抱えてたんだろうなぁとちょっと切なく思い、
だけどそれを乗り越えて一緒にいる二人がやっぱり幸せなんだなーって!
二人とも良かったねー!って言いたくなるようなお話でした。

四国と北海道は定年前に、イタリアは青島君の定年後に行くんじゃないかしら?(^^)

リカさん、幸せな二人を有難う御座いました!
この室青よりも私の方が幸せかもしれません(笑)
もう一度お引越を・・・(もういいって)
本当に有難う御座いました!